私の釣り経歴書-プロフィール-kim'sフライフィッシング研究室

私の釣り経歴書

・小学校低学年の時、父と近くの岸壁でイワシを釣る。

 当時の竿は、お祭り(三社大祭)の屋台で買ったおもちゃの竹竿だった。

 あまりに短く、真っ直ぐではなく、折れないがどこまでも曲がる。

 当時は、イワシが怒涛のごとく押し寄せる時代だった。

 釣りに目覚める…

 

・小学校高学年の時、海の投げ釣りを覚える。

 海の投げ釣りのターゲットはアブラメ・ソイ・カレイ・マアナゴ・ドンコ・シャコ。

 餌はエラコを使用した。エラコは100円から買うことが出来た。

 一人で自転車で港に行き、夜明けまで釣りをした。当時は映画「スタンドバイミー」を観て

 リバーフェニックスに憧れていた。ラジオやエアガン、缶詰やソーセージを持って

 サバイバル風を装って楽しんでいた。今思い返すと恥ずかしい。

 

・磯場・渡船利用の防波堤デビューも小学校高学年。

 磯場には父と共に朝早く出かけた。大型のアブラメが釣れるのが面白かった。また、磯場と共に、

 頻繁に行ったのが、渡船を利用しての防波堤釣りだ。対象魚類が一回り大きい。魚種も豊富だった。

 特にリュウグウハゼ(ラグビー)・ウマヅラハギ(最近は釣れない)・クロガシラカレイ・ナメタカレイ

 など、沖防波堤ならではの魚がいた。

 

・川釣りを覚えたのも小学校高学年。

 近所にハゼ釣り名人のおじいちゃんがいて、この人と競い合った。

 うき釣りで、1時間40匹という日もあった。餌はりん太郎ミミズを使用。

 ハゼ釣りの外道に、チカ・オイカワ・フナ・ニゴイ・ウグイ・マルタ・ナマズなど。

 また、アユのガラ掛け釣りというのもやった。これは落ちアユ(小型のアユが群れている)めがけて、

 鋭い複数の針がついたサビキを投げては引っかける釣りだ。釣りというより漁で、あまり面白いとは

 思えなかった。残酷に感じた。

 

・中学でコイ釣りに目覚める。

 釣り方は、練餌釣り(浮釣り)・芋ようかん釣り(投げ)・吸い込み釣り(投げ)など、

 魚の通り道を研究して、前日に餌を撒いておくなどしてサイズアップを狙った。しかし、

 記録は思ったほど伸びず、最長60㎝程度。ニゴイが多かった…

 

・高校以降、釣り熱が冷める…

 以後8年間全く釣りの記憶がない。失われた8年間だった。

 

・社会人に釣り熱再び浮上!

 関東で車を手に入れてからというもの、週末に横須賀や伊豆に釣りに出かけた。

 職場(浅草)から家(戸塚)まで電車で2時間。帰宅後すぐに準備をして、

 そのまま夜通し伊豆の下田まで走った(確か6~7時間かかったような…)。

 ターゲットはメバル・メジナ・クロダイ・カサゴ・ソウダカツオ・カワハギなど。

 

・社会人2年目でクロダイのダンゴ釣りにハマる。

 当時、雑誌をにぎわせていた釣り方法だった。餌の作り方が、

 コイ釣りの練餌づくりに似ていたのでイメージしやすかったのだと思う。

 お金がかかる釣りだった。高価な中通し竿に、専用のラインとリール。

 特に、毎回の餌代が半端なものではなかった。添加剤まで使っていた。

 一回の釣りで1万円ほどかかった。

 

・クロダイを仕留められず、関東を去る。

 社会人になって4年目、ダンゴ釣りを開始してから3年目、本命のクロダイを

 釣ることが出来ずに人生の転機を迎えIターン。

 ダンゴ釣りで仕留めた魚はクロサギ・メジナ・カサゴ…ほとんどがボラとべラ。 

 一匹でも仕留めたかった。私ほどクロダイに見放された釣り人はいないだろう。

 

・「目指せ公務員」で落っこちて、就職浪人になって釣りから離れる。

 その後2年間、勉強・勉強の毎日。飯を食うより問題集の日々を送った。

 釣りどころではなかった時代。

 

・地元で再就職かなう!

 捨てる神あれば拾う神あり。仕事を覚えるまで必死で、2年ほど釣りどころではなかった。

 まれに夜釣りをした。40センチの黒ソイを釣ったのはこの頃。

 

・師匠に出会う!!

 仕事をようやく覚えたころ、師匠が私の職場に転勤になった。

 師匠が川釣りを趣味にしているということを聞きつけ、お話を聞いているうちに、

 では行ってみましょう、ということに。これが、「フライフィッシング」との出会いとなる。

 すぐにウェイダーを買って準備した。

 

・初めての渓流釣りに驚きの連続!

 私の川釣りは河口での釣りしか経験がなかった。源流部に近い渓流は初めて。予備知識として

 ブラッドピット主演の「リバーランズスルーイット」を観てイメージを膨らませていたのだ。

 師匠はフライロッドで、私は渓流竿でブドウ虫を使って追いかけた。結果はプロフィールの冒頭で

 紹介したとおり。当時は、岩魚がこんなに釣れる魚だとは思わなかった。イワナに触れたのは

 この日が初めてだった。初めての日に32センチは出来すぎだ。他に8匹ほどのまずまずの岩魚を

 お土産にできた。師匠の読みが冴えていたのだ。

 あの日の師匠の満面の笑みが忘れられない。自分の釣果よりも私の釣果を喜んでくれていた。

 フライマンの余裕。どこまでも大人だった。私もこうなりたい、こうあるべきだと思った。

 

・フライフィッシングがあったからこそ、今がある。

 初めて師匠に連れられて渓流に入ったあの日から数年、フライフィッシングを通して、私は人間が大き

 く成長した。釣果にこだわらない、これまで以上に生き物を大切にし、四季を敏感に感じ、わが身を

 大自然の一部と感じる。フライフィッシングは私の生き方そのものと言えるようになった。

 この美しき偉大なフライフィッシングの世界を、私が大好きなフライフィッシングの世界を、八戸から

 世界に発信するためHP作りを開始した…